第35話 兄と弟
今回の若貴騒動は、『事実は小説より奇なり』の通り、
時間が経過するに従って複雑になっていきます。
いろいろな登場人物が、それぞれの立場で話すことによって、
伏線が多岐に分かれ張り巡らされていき、より深く、より抜き差しならない
方向へいざなわれて行くように見えます。
それにしても、この騒動には、大衆が興味をそそるほぼ全ての要素が包含されている
ことに驚かされます。
さて、今日の話題は、若貴の騒動ではなく、兄弟についてです。
私は、概して運命論者ではないのですが、
何番目の子供で生まれるかとか、兄弟姉妹が何人いるかとかについては、
ある程度、当人にとって運命的な要因になると思います。
若貴の場合でも、長男と次男の性格の違いや、親との距離のとり方が
結構顕著に出ているような気がします。
また、普通は、兄と弟を同時に扱って同じ事をやらせると、
弟の方が割りを食い、兄や親に反発することが多いのですが、
若貴兄弟の場合は、同時入門で、兄弟でありながら、兄弟子・弟弟子の上下が
なく、その上、弟の方が猛スピードで出世してしまったのですから、
表には見せなくても、兄の方は立つ瀬がなく、辛い思いを引きずって
来たのかもしれません。
さて、一般的には(我が家の例を一般的と称しただけかも知れませんが)
最初に生まれてきた子は、親家業に慣れない親のもとではありながら、
次の子が生まれるまで親を独占できます。
このことは、性格形成に大きな影響があると考えられます。
大体、長男や長女はおっとりとしていて、わがままな半面、親の言うことや
体制秩序には従順な面があると言われています。
それに対して、次の子供は、生まれた時からライバルがいるわけですから、
よっぽど親の気を引くように立ち回るか、そうでなければ、反発するか
馬耳東風を決め込むか、どちらにしても存在感を出さないと
親にアピールできません。
特に同姓同士の場合、大人になるまで、いつも兄や姉に腕力でも知識でも
差を付けられ、「いつか見ておれ」の気持ちが培われてもおかしくありません。
加えて、親が上を叱るのを見て、自分は叱られないように上手く立ち回ります。
親に対しても上に対しても、気を使いながら育ちます。
子供の数が多くなると、親を抜きにした子供達だけの社会が生まれ、
その中での相対の関係やいろいろな絡み・組み合わせに影響されつつ
育っていきます。
親の手の掛け方がどうしても薄くなる分、うまくしたもので、
兄弟間の人間関係で補われる面もあるようです。
毛利元就が臨終に語ったとされる『三矢の訓』は、反対から見れば、
兄弟というものが、親の死後は仲たがいしたり
疎遠になったりし易いものだということを表しています。
ライバル心や生まれた時から積み上がる様々な感情や想いが、
それぞれが独立して、家庭を作っていくエネルギーに転化されるとも
考えられます。
ですから、ただいつまでも仲が良いというだけではどうかという
場合もあります。
そうは言っても、親の側から願うのは、
それぞれ生きる世界は違っても、連絡を取り合い、
いつまでも仲良く生きて行って欲しいということでしょう。
ねえ! 二子山親方!!(天国に呼びかけている??)
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